校長先生ってどんなお仕事をしているのか、みなさんは知っていますか?
今回は、私立高等学校の校長先生を務めていた私の父にインタビューしました(*^^*)
おしごと内容
- 決定・承認事務
- 会議・説明会
- 経営
- 組織作り
あいさつ運動
これは、うちの父ならではの仕事ですが、始業前の7時半~8時半は、校門の前に立って、あいさつ運動をしていました。
「生徒から先生に挨拶するのがあたりまえ」ではない。
先生から生徒に挨拶する、その姿勢を見せることで、自然と生徒も同じように挨拶をするようになります。小学生や中学生たちのお手本になるように。
親への啓発も行いました。地域の人たちからは、「ここの生徒はちゃんと挨拶してくれる」と言ってもらえるようになりました。
また毎朝あいさつすることで、生徒の様子がおかしいと顔を見るだけで分かるようになりました。
いつもと違う子がいたら、担任に伝えて声をかけてもらうことも。
普段から生徒と近い存在でいることで、生徒から直接、学校や先生のことをどう思っているか聞くこともできるそうです。
決定・承認事務
物品購入や環境整備の業者の選定、見積り書、申請書類などに目を通して承認するなど、事務仕事もたくさんあります。
やはり最後の決定権を持っているので、責任も重いです。業者とのやり取りや来客の対応をすることも。
事務仕事と外勤は半々くらいの割合だそうです。
会議・説明会
公立高校の定員数を決める会議に、私立高校の代表も出席します。
公立の定員が多いと、私立に生徒が流れてこないため、私立高校の代表としては、なるべく公立に定員を多くとられないことが望ましいです。
また中学校への説明会や塾回りにも行きます。
以前は、中学校への説明会はほかの先生が行っていたそうですが、教員が行くより、校長先生が行って話をする方が、受取手(生徒や保護者)の感じ方も違うとのこと。
説明会や朝礼で話すときは、原稿は作らなかったそう。
ただ、学校の良いところをそのまま話すだけ。
生徒の前に立ち、生徒の顔を見て、思ったことを話す。
形式的な文章よりも、心に響く言葉が出てくるようです。
経営
私立学校には、国からの補助金があります。
生徒数に応じて補助金が決まるので、生徒数を確保する必要があるのです。
公立とは違い、私立は教育だけでなく、経営についても考えなければなりません。
理事会(役員会議)で、経営状況や教育内容を発表。
安定した経営ができているかを見られ、審査を受けることで、補助金額が決まります。
また公立高校と比べて、私立は授業料が高いです。それでも私立に来てもらうためには、「他府県からも生徒をとる」ことや、教育に力を入れ、国公立に進学できる、良いところに就職できるなどの「実績」が必要でした。
クラブ活動を増やして、質の良い先生を増やす。それが鍵。
それに見合う数の生徒が来てくれると。
生徒数が増えたことで、補助金も約1億円増えたそうです。
また赤字だった経営も、男女共学にしたり、制服を変えたりして、生徒数を増やし、黒字へと転換しました。
組織作り
部活動の特待生制度を作ったり、教員の持ち時間をひとりひとり決めて、講師の先生を少なくすることで、人件費を減らしたりしました。
大事なことは、専任の先生や顧問の先生が、生徒に対してきちんと授業ができる、指導ができる、質の高い先生になってもらうことです。
勤務時間・お休み
勤務時間
基本的には、8時半~16時半まで。
ですが、朝はあいさつ運動をしていたし、残業もしていたので、帰るのは19時~20時頃。管理職なので残業代も出ませんが、教員には早く帰るように言い、自分は仕事をしていました。
確かに、父はいつも遅くまで仕事をしていたのを覚えています。そして誰よりも学校、生徒のために熱量を注いでいたことも。
休み
土日祝日は、学校も休みなので基本的には休みです。
ただ高校体育連盟にも所属していたので、インターハイなどの視察に行くこともあったそう!
給与
公立と私立で給与は違い、一般的には私立の方が給与は高いです。
また公立高校は公務員なので基本的にどこも給与は同じですが、私立は学校によって違うそうです。
年収は1000万円を超えることも。
ボーナスもいい時で5.4倍くらいの時もあったそうですが、経営状況によって変わるので一定ではありません。
必要なスキル
◎現場にいる先生を信頼すること
『最後は校長が責任をとるから、好きなように、自由にやってほしい』と教員には伝えていました。
先生の力を最大限に引き出すことが、最終的に生徒にも良い影響を与えます。
綺麗な建物があっても先生がよくなければ、生徒は満足しない。この先生で良かったと思ってもらえるような先生を育てることが大切。
昔は、教員として働いていました。
当時は生徒指導の先生でもあったので、生徒からはこわいと思われていましたが、ある時ある先生に「良い先生は、授業中はしゃべらない。自分で考える授業を展開する。」と言われました。
学校は生徒が評価するものです。
先生の質・人間性を伸ばすことが大切。先生が良いと、自然と生徒が集まってきます。
“野原に机があり、教える人がいたら、学校はできる”。教育とはそういうもの。
生徒に対して行うマイナスのことも、プラスのことも、すべて自分に返ってくる、と考えていました。
向いている人
- 責任感がある人
- 生徒や保護者としっかり向き合える人
校長は学校の代表です。最後の決定権は校長にあり、責任も伴います。
教員を信じてまかせられること、そして最後に責任を取る覚悟があることが必要です。
また、生徒だけでなく保護者に対しても誠実に対応できる人でなければなりません。
いわゆるモンスターペアレンツとも、逃げずに向き合って話をすることで、信頼を得られるよう働きかけるのです。
どうしたらなれるのか?
公立高校では試験がありますが、私立高校は学校によって違います。
指名制もあるし、選挙形式もあるようです。
仏教系の高校ならお坊さんが校長になることもあるし、カトリック系は外国人がいたりもします。
父の学校は選挙形式でした。任期は4年。
立候補して投票数が多い人がなれるとのことでした。
父は立候補していませんでしたが、ほかの先生たちが投票してくれたそう。
しかし、先生から信頼される人が校長になるべき、と考えていたので、満場一致でなければと校長にはならない、と言いました。
結果、満場一致で校長に着任したそうです。
この仕事を選んだきっかけは?
母親のお兄さんが学校の先生で、教育長をした人でした。
それもあってか、母親には学校の先生になりなさいと言われ、教員免許がとれる大学に通わせてくれました。
最初は先生になるつもりはなく、民間企業への就職も考えていましたが、高校時代にお世話になった先生が母校の校長になっていて、来ないか?と誘ってくれたそう。
当初は治安の悪い学校で偏差値も低かったですが、そのイメージをなんとか見返してやろうと思いました。
大変なこと
校長は8年続けました。自分が教えてもらった先生もいる中で、校長という役職に就くというのは、とてもやりにくかったそうです。
また経営を立て直すためには、1000人の生徒数が必要でした。
しかし、少子化で公立高校が定員を減らさないので、私立になかなか生徒が流れて来ませんでした。
地元の子だけでは生徒数が足りないため、他府県からも来てもらう必要があると考え、寮生を増やすために、実際に1週間に1度は寮に泊まり、寮生活を体験することで、問題があると感じた部分を改善していきました。
銭湯のようなお風呂や食堂を作りました。
また保護者会を開いた際、食事がまずいという意見もあったため、美味しくてあたたかいものを出すようにし、1週間分のメニューを保護者に提示しました。
それ以来、保護者からの文句も一切なくなったそうです。
結果、全校生徒の3分の1は他府県の生徒を確保することができました。
私立高校は、経営についても考えなければなりません。
ただ、経営をよくするために、学校をよくするということは、結局は生徒のために繋がって、良い循環を引き起こしているのです。
やりがい・楽しさ
生徒や保護者が最後に、「この学校に入ってよかった」と言ってくれることが、やりがいとなっています。
そう思ってもらうためには、やっぱり希望する進路を「100パーセント達成」すること。
ですが、ほかにも生徒の満足度を高める策を講じました。
昔、父が勤め始めたころは男子校で、当時の学生に「学校のいやなところは何?」と聞いたところ、「女子がいないこと」と回答が(笑)
学生らしい回答ですが、まさにこれが学生のリアルな声でした。
それからは、いろんな経過を経て男女共学の学校にしました。
そして女子を増やすには、『制服』が大事だと思い、ブランド化すべく、試行錯誤を重ね、ほかの学校とは一味違う制服を作りました。
その結果、全国でも人気が急上昇し、AKBのまゆゆが写真集でその制服を着たことも!
こだわりぬいた制服は、ドラマに出てくるようなかわいい制服で、他府県からも人気を集めました。
次に『修学旅行』。
まだ学生主任をしていた時はバスで長野県にスキー旅行でしたが、インフルエンザの時期でもあり、長距離のバス移動は疲れるので、とても大変でした。
そこで、バスよりも安全で楽に移動することができる飛行機で、北海道へ行くことを提案。
保護者にも事情を説明してアンケートを取り、費用が少し上がることも承知の上で、了承を得られ、行き先が北海道に変更となりました。
そしてある時、北海道よりも約1万円多く出せばハワイへ行けるタイミングがありました。
この時も保護者にアンケートを取って同意を得て、行き先がハワイに変更となりました。
学生にとっても、うれしいことですよね!修学旅行で海外に行けるというのは、当時ほかの学校にはなかなかない、学校の魅力のひとつとなりました。
自分のやってきたことが、最後は生徒や保護者の「この学校に来てよかった」という言葉に変わるとき、その過程がどれだけ大変でも、やってきてよかったと思うのです。
あとがき
私の父は、私が物心ついた時には、もうすでに教頭先生になっていました。そしていつのまにか、校長先生に。
学校に親がいるのがいやで、父の高校には進学しませんでしたが、父からはいつもその学校は「とても素晴らしい学校だ」と聞いていました。
朝は早いし、帰りは遅かったけれど、ものすごく熱意をもって学校と向き合っていたのだなあと、今になって感じます。
校長先生って、何してるの?と、ずっと疑問に思っていましたが、身近にいすぎて、聞くこともありませんでした。
今回インタビューしてみて、校長先生は、いわゆる会社の社長で、組織作りや経営などを行う仕事なのだと知りました。
トップで組織の色が変わると言いますが、学校も、校長先生の放つ色で、何色にでもなるのだと思います。
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